おばぁ(婆さま) が また 倒れました。
昨年の12月の19日の夕方の事でした。
吐き気と共に目眩を訴えました。
その後、横になり、どうにか落ち着いたのですが、
夜9時半頃、汚れたモノを片付けてあげながら、
「どうする?もし、何なら病院に行こうか?」
そう声を掛けました。
「う~ん。そうだね・・。心配だから、行ってみようかね」
との返事。
正直、「うげッ。今から病院に行くのかよ
」とも思いましたが、
とりあえず、病院に電話すると、
今日は救急指定じゃないから空いているから、すぐに診てくれるとの事で、10時過ぎに病院に
先月(11月)に大動脈解離で入院していたことを告げてあったので、すぐに検査をしてくれました。
すると・・・すると・・また、また、大動脈解離でした。
そうつまり再発です

しかも、前回は心臓から下に向っての解離のB型だったのですが、
今回は心臓に向っているA型解離でした
B型の場合は内科的治療の上、安静を保つ治療になるのですが、
A型の場合、心臓に向って解離が始まっている為、そんな事は言ってられません。
このまま、ほっておけば、いずれ心臓破裂になるでしょうとの事。
心臓破裂になれば、いくらICUに居ても、隣の手術室まで持たないとの事。
そして、A型の場合、1時間に1%の人が命を落とすのだという説明が医師からありました。
古い人では、石原の裕チャン。
新しい人(ではないかも)では、カトチャンが この手術をし生還しています
おばぁ は すぐにICUに入り、あちこち管が取り付けられました。
その後、おばぁ を見舞い、迎えに来た旦那の車で帰途に着いた時 時間は深夜2時を回っていました。
次の日 朝7時から、再度、主治医からの説明がありました。
この先生には、前回の解離の時にもお世話になりました。
ちなみに、中年ですが、イケメンな先生です。
どうやら慶応ボーイらしいです←関係ないだろッ
今の状態が どんなであるか。助かる道の手術についての説明がありました。
手術の際の死亡率は15~20%くらい。でも 年齢+喘息の持病の分、プラスアルファのリスクを伴うこと。
ただ、今の状態は予断できない状況である事。
あとは、ご家族で決めてくださいとの事。
黙って話しを聞いている旦那。
その時、先生の言った言葉。何げない言葉だったけれど、
「私達スタッフは ここに来る患者さん、皆さんに元気になって貰いたいと思っています」
その言葉を聞いた時、思わず
「手術してあげてください」
そう言っていました。
旦那は 「そんなに早く決めなくても」
そう云ったけど、早けりゃ早いに越したことは無い。
どんなリスクが合ったって、生命に関わるのなら、手術はしなくてはならないのだから。
よって、様態安定を待って手術する事になりました
そして、手術は25日に決まりましたが、意識は朦朧としているし、人口呼吸器はしているし、
あちこち管だらけだし、
「手術の選択は間違っていたのだろうか」
おばぁ を見るたびに そんな事を考えていました。
それと同時に もし、亡くなってしまった場合の事も考えなくてはなりません。
そう。家の片付けです。
親戚が遠方に多いので、揃って泊まりになる事は確実です。
思い起こせば お爺の葬式の時には、20人くらい泊まった記憶が。
「お前は 俺の親を勝手に殺すのか」
そう旦那は ブツブツ言っていましたが、そんな事は関係ない
とにかく一部屋でも開けなければ。
鼬ファミリーはいいけど、問題は 仏壇前に いつも寝ている まる婆さんだ。
二階で飛びまわっている猫ファミリーだ。
と、この方たちは 日頃、お世話になっている動物病院の先生に 万が一の時には
預かってもらうことになりました。
そして手術の前日、駆け付けてくれた地元の鼬サークルの友達に励まされ、
手術の成功を祈って前祝(?)
そして、ついにやって来ました。手術当日
おばぁ は午前11時に先生と看護婦さんたちと共に手術室に入って行きました

長い長い一日の始まりです。
後は成功を祈るだけです。
ちなみに 待機中 手術室横の待機室で 嫁が 綾小路きみまろの本を読んで
笑っていたのは内緒です。
手術は 大動脈の上部と弓部の血管を人口血管に置換するんだけど、
その間、人口心肺装置を使って 心臓を2時間半止める大手術。
当然、大出血に備えて血液も通常の2倍の量を用意してあるとの事。
そう、まさしく「医龍の世界」
そして、午後9時半。長い長い手術が終わり、
お付き(医師、看護師、臨床工学士)を10人ほど引き連れて おばぁ は手術室から出て来ました
人口心肺によって、体中が だるまさん宜しく如く浮腫んでいます。
そして、おしっこも出ていないため、すぐに透析開始。
執刀医(主治医)からは 手術の成功を告げらましたが、
これから高い頻度で起こるであろう合併症の話などを聞き、48時間は安心できないとの
説明を受け、帰宅しました。
帰宅すると、自宅でケーキが待っていました。
そう、その日はクリスマスでした。
「クリスマスどころじゃなかっただろうから」
と友人が子供達に持ってきてくれたケーキでした。
その後、おばぁ は意識が朦朧としながらも、少しづつ、本当に少しづつ回復に向かいました。
運良く合併症もありませんでした。
頭の中も正常、手足も動きます。出なかったおしっこも少しづつ出始めました。
体の浮腫みも少しづつ取れ、めちゃくちゃだった血液検査の数値も安定し始めました。
そして 手術後、心電図、血圧、酸素飽和などのモニターの他にドレーンを6個も背負っていたんだけど、
それも、少しづつ取れ始めた頃、今度は、術後せん妄により、おかしなことを発し、
ある日、旦那が見舞いに行った時には
「魚をさばいているからどいて」と言われ
帰り際には 「豆腐一丁
」そう言われたそうな。
いったい何だったのだろうか
そして、長男は ある日 「素麺 茹でて」
そう言われたそうな。
そして、嫁の私には、「インスタントラーメン作って」
そう言いました。
って、食べることばっかりだよ・・おばぁ・・
と、その後も、少しづつ回復し、実に1ヶ月ぶりに ICUから一般病棟に移ることになりました。
そして、その後、ICUでお世話になった看護婦さんに聞いた話によると、
今回、おばぁ にやった手術によって あと20年は長生き出来るそうな。
う~ん。嫁としては、喜んでいいのか。複雑な心境ですわ
ちなみに、我が家の おばぁ 84歳の誕生日まで あと2ヶ月
昨年の12月の19日の夕方の事でした。
吐き気と共に目眩を訴えました。
その後、横になり、どうにか落ち着いたのですが、
夜9時半頃、汚れたモノを片付けてあげながら、
「どうする?もし、何なら病院に行こうか?」
そう声を掛けました。
「う~ん。そうだね・・。心配だから、行ってみようかね」
との返事。
正直、「うげッ。今から病院に行くのかよ

とりあえず、病院に電話すると、
今日は救急指定じゃないから空いているから、すぐに診てくれるとの事で、10時過ぎに病院に

先月(11月)に大動脈解離で入院していたことを告げてあったので、すぐに検査をしてくれました。
すると・・・すると・・また、また、大動脈解離でした。
そうつまり再発です


しかも、前回は心臓から下に向っての解離のB型だったのですが、
今回は心臓に向っているA型解離でした

B型の場合は内科的治療の上、安静を保つ治療になるのですが、
A型の場合、心臓に向って解離が始まっている為、そんな事は言ってられません。
このまま、ほっておけば、いずれ心臓破裂になるでしょうとの事。
心臓破裂になれば、いくらICUに居ても、隣の手術室まで持たないとの事。
そして、A型の場合、1時間に1%の人が命を落とすのだという説明が医師からありました。
古い人では、石原の裕チャン。
新しい人(ではないかも)では、カトチャンが この手術をし生還しています
おばぁ は すぐにICUに入り、あちこち管が取り付けられました。
その後、おばぁ を見舞い、迎えに来た旦那の車で帰途に着いた時 時間は深夜2時を回っていました。
次の日 朝7時から、再度、主治医からの説明がありました。
この先生には、前回の解離の時にもお世話になりました。
ちなみに、中年ですが、イケメンな先生です。
どうやら慶応ボーイらしいです←関係ないだろッ
今の状態が どんなであるか。助かる道の手術についての説明がありました。
手術の際の死亡率は15~20%くらい。でも 年齢+喘息の持病の分、プラスアルファのリスクを伴うこと。
ただ、今の状態は予断できない状況である事。
あとは、ご家族で決めてくださいとの事。
黙って話しを聞いている旦那。
その時、先生の言った言葉。何げない言葉だったけれど、
「私達スタッフは ここに来る患者さん、皆さんに元気になって貰いたいと思っています」
その言葉を聞いた時、思わず
「手術してあげてください」
そう言っていました。
旦那は 「そんなに早く決めなくても」
そう云ったけど、早けりゃ早いに越したことは無い。
どんなリスクが合ったって、生命に関わるのなら、手術はしなくてはならないのだから。
よって、様態安定を待って手術する事になりました

そして、手術は25日に決まりましたが、意識は朦朧としているし、人口呼吸器はしているし、
あちこち管だらけだし、
「手術の選択は間違っていたのだろうか」
おばぁ を見るたびに そんな事を考えていました。
それと同時に もし、亡くなってしまった場合の事も考えなくてはなりません。
そう。家の片付けです。
親戚が遠方に多いので、揃って泊まりになる事は確実です。
思い起こせば お爺の葬式の時には、20人くらい泊まった記憶が。
「お前は 俺の親を勝手に殺すのか」
そう旦那は ブツブツ言っていましたが、そんな事は関係ない

とにかく一部屋でも開けなければ。
鼬ファミリーはいいけど、問題は 仏壇前に いつも寝ている まる婆さんだ。
二階で飛びまわっている猫ファミリーだ。
と、この方たちは 日頃、お世話になっている動物病院の先生に 万が一の時には
預かってもらうことになりました。
そして手術の前日、駆け付けてくれた地元の鼬サークルの友達に励まされ、
手術の成功を祈って前祝(?)
そして、ついにやって来ました。手術当日

おばぁ は午前11時に先生と看護婦さんたちと共に手術室に入って行きました


長い長い一日の始まりです。
後は成功を祈るだけです。
ちなみに 待機中 手術室横の待機室で 嫁が 綾小路きみまろの本を読んで
笑っていたのは内緒です。
手術は 大動脈の上部と弓部の血管を人口血管に置換するんだけど、
その間、人口心肺装置を使って 心臓を2時間半止める大手術。
当然、大出血に備えて血液も通常の2倍の量を用意してあるとの事。
そう、まさしく「医龍の世界」
そして、午後9時半。長い長い手術が終わり、
お付き(医師、看護師、臨床工学士)を10人ほど引き連れて おばぁ は手術室から出て来ました

人口心肺によって、体中が だるまさん宜しく如く浮腫んでいます。
そして、おしっこも出ていないため、すぐに透析開始。
執刀医(主治医)からは 手術の成功を告げらましたが、
これから高い頻度で起こるであろう合併症の話などを聞き、48時間は安心できないとの
説明を受け、帰宅しました。
帰宅すると、自宅でケーキが待っていました。
そう、その日はクリスマスでした。
「クリスマスどころじゃなかっただろうから」
と友人が子供達に持ってきてくれたケーキでした。
その後、おばぁ は意識が朦朧としながらも、少しづつ、本当に少しづつ回復に向かいました。
運良く合併症もありませんでした。
頭の中も正常、手足も動きます。出なかったおしっこも少しづつ出始めました。
体の浮腫みも少しづつ取れ、めちゃくちゃだった血液検査の数値も安定し始めました。
そして 手術後、心電図、血圧、酸素飽和などのモニターの他にドレーンを6個も背負っていたんだけど、
それも、少しづつ取れ始めた頃、今度は、術後せん妄により、おかしなことを発し、
ある日、旦那が見舞いに行った時には
「魚をさばいているからどいて」と言われ
帰り際には 「豆腐一丁

いったい何だったのだろうか

そして、長男は ある日 「素麺 茹でて」
そう言われたそうな。
そして、嫁の私には、「インスタントラーメン作って」
そう言いました。
って、食べることばっかりだよ・・おばぁ・・

と、その後も、少しづつ回復し、実に1ヶ月ぶりに ICUから一般病棟に移ることになりました。
そして、その後、ICUでお世話になった看護婦さんに聞いた話によると、
今回、おばぁ にやった手術によって あと20年は長生き出来るそうな。
う~ん。嫁としては、喜んでいいのか。複雑な心境ですわ

ちなみに、我が家の おばぁ 84歳の誕生日まで あと2ヶ月
