
笑ってる?
幸せそうな顔しちゃって。
隣には、きゅう太郎君が居て、たかチャンも、かっチャンも、こゆチャンも はちべも居てくれて嬉しいね。
ほら。たまおも、横に座って見守ってくれているよ。
抱いて撫でなくても その幸せそうな顔を見てわかりました。
「逝ってしまったんだな」
って。
本当に これまでにないくらいな幸せそうな顔をしていました。
夕飯の支度をしに 少しの間、席を外して部屋に戻って来たときの出来事でした。
その あまりにも幸せそうな顔を見たら、
「これが、おお次郎が一番 望んでいたことだよね。
大好きなみんなと一緒に居るのが一番の幸せだったんだものね」
そう、思いました。
一人になるのが嫌だった。誰かと一緒に居たかった。
そうだったよね。
私は その瞬間を抱っこして撫でて見送ってあげる事は出来なかったけど、
他の子たちが、みんなで傍に寝ていてくれました。
「お母さんは泣いて引きとめるだろうから、僕 お母さんが居ないうちに逝くよ」
そうも思ったのかもしれません。

おお次郎は 9月29日に入院先の病院から自宅に戻って来て その後、自宅で介護していました。
病院では、とにかく看護婦さん達に甘えたくて甘えたくて、顔を見ると起きてきてしまうくらいで、
安静にさせるため、そして、余命わずかであるとの事も踏まえ、自宅に戻って来ました。
自宅では、
「ご飯をモリモリ食べて病気なんか ふっ飛ばしちゃえ」
そんな母の言葉に答えてくれるかのように、退院した日と次の日は、良く食べてくれていました。
先生からプレゼントされた漢方薬も飲んでいました。
が、次の日、朝から、きゅう太郎が傍を離れません。
しきりに顔を舐めてあげています。
嫌な予感はありました。
覚悟もしているつもりでした。
でも、本当は、まだ現実を受け入れられずにいました。
そんな中での急な旅立ち。
覚悟はしていたつもりだった。
でも、どこかで奇跡を信じていた。
覚悟はしていた。
でも、でも、でも、心の準備は出来ていなかった。
その瞬間が近づいているのが 経験からわかっているからこそ、
この腕に抱いた感触 そして手に撫でた感触を いつまでも、覚えていようと何度も何度も撫でた。
正直、今でも、受け入れられていない自分がいます。
病気になったことも。そして、あんなに大きかった子が小さな壷に入ってしまったことも。
毎日毎日、考えたくなくって、日中は、とにかく動いて思い出さないようにして、
眠くなるまで動いて。
何も考える間も無く寝る。
そんな日が続いていました。
でも、ある晩、まる婆さんのお散歩に次男を連れて行った時、
次男が言いました。
「お母さん、お星様が綺麗だね。あの一番、光っているのが、きっとで、
おお次郎クンなんだろうね」
と。
「うん?どれ?そうだね。あの星が おお次郎クンの星だね」
そう云いながら涙が次から次へと頬を伝ってくるのがわかりました。
可愛かったなぁ。おおじろう。
いい子だったなぁ。おおじろう。
大好きだったよ。おおじろう。
白髪になるまで長生きしてくれるって思っていたのにな。
急に居なくなるのはルール違反だよ。
心に こんなに大きな穴が ぽっかり開いちゃったじゃないか。


そういえば、以前 とある方から頂いたメールに、こんな内容の事が書かれていました。
(その方は まだ死を経験した事がないようでした)
「私は、自分の家の子の最後を看取ることなんか辛くて出来ません。
いちさんは、何匹も看取ってあげれて強いですね。
そして、その後も大勢の子の世話が出来て強いですね」
正直、「何にもわかっちゃいないくせに」
そう思いました。
強くなんかない。鉄の女じゃない。
心がないみたいで本当に辛い内容でした。
正直、泣きたくて泣きたくて大きな声で泣きたい時もある。
でも、泣く前に 他の子の心のケアをしなければならない。
仲間が亡くなって、一番辛いのは、私ではなく 他の子たちのはず。
みんなは違うのだろうか・・?
動物って何なんだろう?どんな存在なんだろう?と ふと思う時がある。
私にとっての家族(人間も動物も)は 己の身体の一部であって、
全てが揃っているからこそ、元気で居られる自分がいる。
でも、その一部が抜け落ちると 抜け落ちた一部に慣れるのに
時間が掛かる自分が居る。
今は その抜け落ちた部分に慣れようと必死になっている自分がいるのがわかる。
それに慣れるのは いつなんだろうか。
今は見当もつかないけれど、
それでも、やっぱり前に向って歩いて行かなくっちゃいけないんだよね・・。
でも、時々は、お便所掃除しながら、こっそり涙も流しちゃうだろうし、
鼻水も出ちゃうだろうけど、
可愛い子たち許してね。

おお次郎くんへ。
5歳のお誕生日おめでとう。
空の上で あきチャン、そして、むーたん。先代のお兄ちゃん、お姉ちゃんに
祝ってもらったかな。
でもね・・。
お母さんは、本当は、お家で きゅうチャンとか どろんぱ君たちと、一緒に祝ってあげたかったよ。
お部屋の中は相変わらず毎日 賑やかだけど、やっぱり おお次郎が居ないのはさみしい。
ケージの中に 居ないのは寂しい。
お日様のあたる場所で へそ天で寝ていた おお次郎がいないのはさみしい。
うちの子になって、4年9ヶ月。
太陽のような ひまわりのような大らかな子だったね。
いつも元気でキャラクター豊かで いつも みんなを笑わせていたよね。
居るだけで、その周りが暖かい空気で包まれるような子だったよね。
その大きな目を いつも、キョロキョロと動かし、
部屋の中を走り回っていたよね。
でも、その大きな目が 実は、出目だったのは、お母さんと おお次郎クンの秘密だよ。
空に旅立つには、まだまだ早い年齢だったけれど。
短い生涯だったけれど、
お母さんは、おお次郎と出会えて良かったよ。
あの寒い日、実家のママの腕に抱っこされて連れてこられた時の
顔 今でも、お母さん 覚えているよ。
忘れないよ、これからも。
おっきな幸せをありがとう。
おっきな笑いをありがとう。
そして、おっきなお腹で癒してくれてありがとう。
心の中から、そう思えるには まだまだ時間が掛かりそうだけど、
庭に植えた黄色コスモスの株が一回り大きくなって また満開になった頃、
その花の下で 優しい風に乗って遊びにきた あなたに会えるのを楽しみにしています。
おお次郎、2009年10月1日、空に旅立つ。
享年 4歳11ヶ月。